印刷技術とタイポグラフィの歴史から、デジタルフォントの未来を読み取る

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ニューヨーク在住。
ブランディング、タイポグラフィー、デザイン史などについて執筆。

タイプライターからDTP、さらにはRetinaディスプレイが登場する過程で、タイポグラフィにはどういった影響があっただろうか。その歴史を辿ることで未来を予想してほしい。

現代のデザイナーたちが、アプリやWebサイトのようなデジタル領域のデザインをするのにデジタルツールを使うのは当たり前だ。かつてデジタルによる印刷革命は一世を風靡したが、今では日常のたくさんのタスクの中の1つの選択肢に過ぎない。ITの進化はあらゆる分野のデザインプロセスに影響を及ぼしたが、タイポグラフィ以上に影響を受けた分野はない。

タイポグラフィの分野において、デジタルフォントの可読性はディスプレイの性能に大きく依存している。しかしRetinaディスプレイの様な高精細ディスプレイの登場など、デジタル機器が進歩するにつれ、ある疑問が湧いてくる。今でもデジタルと他の活字の間に大きな違いがあるのだろうか? 未来には何が待ち受けているのだろうか?

デジタルフォントの未来を探るため、我々は過去を、すなわちデジタルフォントの歴史を調べることにした。コンピューターの進化と普及にともなうタイポグラフィの変化は、実際にはどうだったのか? 今の時代に生きる我々は、歴史から何が読み取れるだろうか?

歴史を1950年代まで遡ってみると、それは予想以上に複雑だった。以下はその歴史をまとめたものだが、タイポグラフィの言葉を借りるなら「著しくCondensed(凝縮されている)」だ。

活版印刷技術の飛躍的な発展

第二次大戦後、特に1960年代は、幾つかの発明により、個人用のタイプライターや印刷会社にも、印刷技術に大きな変革が起こり、IT革命への道が開かれていった時代だ。

IBMのSelectricタイプライター — フォントの切り替えが容易に 

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初期のアナログ式タイプライターは、キーを押すと機械的に直結するタイプバーが作動し紙に活字を打ち込んでいたため、バーが絡んで動かなくなることもしばしばだった。

1961年にIBMが発売したSelectricタイプライターでは、タイプバーの代わりにゴルフボール状のヘッド(上記写真右)が採用された。ユーザーが打った文字に応じて回転し、文字が適切な位置に来る。動作不良はほとんどなくなったが、それにも増して重要なことは、ヘッドが簡単に交換でき、フォントが変えられる!ということだった(ボールドやイタリックなども含む)。タイピストが1つの文章に複数のフォントを使えるようになり、ここから現在のDTPインターフェースへの道が開かれたのだ。

可変幅フォントに対応 — デイジーホイール

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ヘッドの形状が花のようなことからその名が付いたデイジーホイール(上記写真右)プリンターでは、ヘッドが球形から円盤型に変わり、より軽く効率的になり、タイピングスピードを著しく向上させた。

このデイジーホイールの登場は、見た目以上に意味のある改良だった。というのも、この形状のメカニズムは、文字の形状に応じて横幅が変わる可変幅(プロポーショナル)フォントを可能にしたのだ。これは個人用のタイプライターでは初めてのことだった。

この方式は非常に印刷効率が高く、コンピューターの世界でも全面的に採用された。また、印刷コストがおさえられるというメリットから、レーザープリンターやドットマトリクスプリンターが登場した1970年代後期においても、依然として主要なメカニズムとして採用された。その後時が経った後も、AppleのLaserwriterのような画期的なデジタルデバイスでは、デイジーホイールプリンターがエミュレートされたりもした。

大量印刷を可能に — 写真植字

phototype
感光紙またはフィルム/可動型の光学素子/円筒状のレンズ/文字盤/光源
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写植は、マサチューセッツ州ケンブリッジにあるPhoton社が1949年に公表し、大量印刷技術の分野で大きな改革を起こした。は、従来の鉛でできたタイプ文字の塊である”スラッグ”を、光に置き替えた。

以下はその仕組みだ。オペレーターが文字の形を切り抜いた”文字盤”に光を通す。次に拡大レンズを選び、投影される文字の大きさを決める。最後に、感光紙かフィルムの上に光が投射される。すると、魔法のようにタイプした文字が現れる。このフィルムはオフセット印刷の製版に使われる。これはインクをつけることができ、何度でも再利用できるものだ。

DTPの発明 — Digiset電算植字機

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写真植字の印刷も、グーテンベルク時代の古めかしい活版印刷も、アナログには変わらない。唯一の違いは、木や鉛の型だった部分がよりハイテクな光と化学処理された紙に変わったぐらいだ。

しかし、1960年代半ばにドイツの印刷会社Rudolf Hell社によって作られたDigiset電算写植機はそれらとは全く違う代物だ。感光紙に光を当てるのではなく、テレビで使われる技術と同じブラウン管(CRT)のモニターに投影される仕組みだった。

写真植字との大きな違いは、光が物理的に投影されるのではなく、グリッドを使って形作られた小さな光の点、つまりピクセル相当のものの集合体として投影される。それはのちにビットマップ形式として知られるようになる。言い換えれば、デジタルデータということだ。

さらに優れていたのは、モニターには編集用のコンピューターが接続され、簡単にミスを修正したり、元に戻したりできることだ。デジタルな情報なので、いったん文書が仕上がれば、それをフロッピーディスクに保存できた。このように、DigisetはパーソナルコンピューターのDTPアプリケーションの先駆者だった。

デジタルフォントの登場

印刷技術の進歩により、タイポグラフィーにもそれに伴い変革が求められた。タイポグラファーであるAdiran Frutiger氏らが近代のデジタルフォントの前身となる写植専用のフォントを創り出したのだ。

Univers

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写植の進歩には大きなメリットがあったものの、マイナス要素もあった。写植による投影光では、金属活字ほど鮮明に印字することができなかったのだ。そのため、メーカーは世界でも指折りのタイポグラファーたちに、より字形がしっかり区別できるフォントの作成を依頼した。

写植専用フォントの最も有名な例が、スイスのタイポグラファー、Adrian Frutiger氏のUniversである。1950年代に作られたUniversの狙いは、写植機用のサンセリフ書体の座をFuturaから奪うことだった。しかしFrutigerにとって、その仕事はアートワークとはほど遠い内容だったようだ。

このフォントを良く見せようと私が行った行為は、決して本質的なものじゃあ無い。そういう意味で、この仕事に歴史的な価値は一切ないね。
VとWのクロッチをちゃんと表現するには、大きなスペースを持たせる必要があったし、角が丸く見えてしまうのを避けるために、ほとんどセリフを付けかけていたよ。でき上がったドラフトもサンセリフ書体なんてものじゃなく、ひしゃげたソーセージの山みたいだったね。 — Adrian Frutiger

しかし30年後、Universはそれ以上の成果をもたらすことになる。デジタル書体という成長分野のモデルになったのだ。それがいかに卓越していたかは、Apple社がmacのキーボードフォントにUnivers Condensedを実に2003年まで採用していた事実が証明している。Frutigerがどう思っているかはさておき。

Digi Grotesk

first digital fonts digi groteskImages via buzzfeed.com

最初のデジタルフォントは、Rudolf Hellのワークショップから生まれた。彼のCRTモニターをベースとするDigiset機は、デジタルフォントの利用が条件だった。つまりビットマップ形式と同じだが、それでも充分美しい。その成果が、上の画像で標準体、ボールド体の例を挙げたDigi Grotesk(グロテスクはサンセリフを意味する)である。

デジタルフォントの草分けとしての地位を考えると、Digi Groteskの見た目は素晴らしい。80年代に現れた、ゴツゴツしたビットマップフォントと比べれば、はるかに良い。この違いの理由は、後のビットマップフォントは初期のPCモニタの極度に低い解像度に対応する必要があったことだ。Hellの大きなDigiset機は高解像度だったのだ。

OCR

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multimediaman.wordpress.com

もう1つのデジタルタイポグラフィの幕開けのキーポイントは、1960年代後半から1970年代初頭にかけた、光学文字認識(OCR)改良の動きだ。

OCRは、コンピューターなどの機械に、印刷された文字を読み取らせ、保存可能なデジタル情報に変換するメカニズムである。この種の情報処理能力は、銀行や政府機関といった業界には欠かせないものだった。

コンピューターの黎明期、OCRを行なうには、それぞれの文字が互いに完全に区別された書体を用意する必要があった。人間の目には様式の整った文字として認識できたとしても、コンピューターは読み間違えるかもしれないからだ。最初の成果は1968年のOCR-Aで、アメリカの23の活字鋳造所の合同プロジェクトだった。これは今でも時々、国際標準図書番号(ISBN)や、パスポートなどで使われているので、なじみがあるかもしれない。

しかし、ヨーロッパ人たちは、アメリカのOCR-Aに満足できなかったので、改訂版をデザインするため1970年代にFrutiger(上記写真左)を雇った。その成果であるOCR-BはOCRの条件に沿いつつ、人間の一般的な美的感覚により近づいている。

パーソナルコンピューターの到来

1980年代半ばまでの大きな出来事としては、パーソナルコンピューターの登場が誰の目にも明らかだろう。一般の人々がデジタルインターフェースと使い、それに伴うあらゆるタイポグラフィの問題に触れるようになるということだ。コンピューターのハードウェアとソフトウェアのみならず、プリンターの革命もソリューションとして求められていた。

PostScript

postscriptImages via
carlosicaza.com, macworld.com

1983年、Apple社は、グラフィカルユーザインターフェースを持つ最初のコンピューター、Lisaをリリースし、世界中でデザイン指向のマニアの心をつかんだ。唯一の問題は、当時はまだ、デザインのような複雑な情報を見た目のまま印刷する技術は存在しなかったため、自分のデザインを用いてできることがほとんどないことだった。テキスト情報のアウトプットはできたが、デザインのプロフェッショナルが認めるような品質にはほど遠かった。画像? 言うまでもない。

同じ頃、John Warnock(上記写真左)とCharles GeschkeがXeroxでの職を捨てて新会社を設立、カリフォルニア州ロスアルトスにある彼らの家々のそばを流れる小川にちなみ、Adobe社と名付けた。

Warnockの大きな発明はPostScriptだ。まさにApple社が求めていたページ記述言語で、デジタルディスプレイ用のフォント情報を、滑らかなベクター曲線のアウトプットを印刷するフォント情報へと変換するものだった。その300dpiの実績が「植字工品質」として推進された。

Apple社は、LaserWriter(上記写真右)の導入以降、グラフィックデザインビジネスに取り組んでいた。

PageMaker

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オンスクリーンデザインソフトウェアの進化もめざましかった。PageMakerは、後にAdobe社に買収されるEnter Aldus社の開発した、最初のデスクトップパブリッシングプログラムだ。

True Type 対 Open Type

true type vs open typeImages via mmlab2.rlc.dcccd.edu

Adobe社は、PostScriptをApple社とMicrosoft社のOSに統合させる提案をしたが、その売り値は法外だった。両社は申し出を拒否し、自前のフォントとページ記述ソフトウェアを作成すべく協力することにした。

Apple社とMicrosoft社が共同開発したのは、スケーラブルなベクター式のフォント技術、True Type(.ttf、”True Type Flavor”フォーマット)である。かつてはコンピューターディスプレイ向け、印刷向けの2つのフォントファイルだったものを1ファイルに結合させた。しかし、自社のデジタルフォントをTrue Typeバージョンでリリースしたいと言う活字鋳造所はほとんどなかった。なぜならAdobe社のソフトウェアのほうが信頼されていたからである。結局、市場に出たTrue Typeフォントの多くは自家製、素人風で、ソフトウェアの信頼性を損ねるものになってしまった。

1996年、Adobe社とMicrosoft社はPostScriptとTrue Typeを融合した新規フォントフォーマットを共同開発することを発表し、業界に衝撃を与えた。このフォーマットはOpen Typeと名付けられた(.otf、”Open Type Flavor”フォーマット)。2007年の時点では、販売されたフォントの90%近くがOpen Typeフォントだった。

今日のフォントの登場

必要なプリンターハードウェアとグラフィカルユーザインターフェースソフトウェアが出揃うと、タイポグラファーには、魅力的かつ読みやすいコンピュータ用書体のデザインに挑むというミッションが課せられた。

Robert Palladino神父

Father Robert Palladino typographyImages via
appelmo.com, wikipedia.org

信じ難いかもしれないが、Steve JobsがApple社を成功させられたのは、彼がオレゴンのReed大学在学中に出会ったトラピスト会修道士のカリグラファー、Robert Palladino神父のおかげかもしれない。

Jobsは、大学のカリグラフィースタジオでのPalladinoの仕事から、美意識とデザインの重要性について貴重なことを学んだという。それこそ、AppleがPCをしのいでいると言われてきた要素だ。2005年、Jobsはスタンフォード大学の学生たちを前に、Palladino神父との体験で得たことを話している。

私は、セリフ体とサンセリフ体について学び、字間の調整、カーニングについて学び、偉大なタイポグラフィーを偉大たらしめるのは何かを学びました。
それは美しく、歴史的で、科学では説明できない芸術的な繊細さを備え、そして私は魅了されたのです。 — Steve Jobs

6年後、JobsがApple Lisaの開発に着手した時、彼は核となる要件を掲げた。たくさんの種類のフォントが使え、それもプロポーショナルフォントでなければならない。初期のコンピューティングにつきものだった等幅フォントの失敗は、既に過去の物だと言ってもいいだろう。

Susan Kare

Susan Kare digital fontsImages via blogs.plos.org, wikipedia.org

Jobsは、自身の美学の夢を実現するため、芸術史家でデザイナーのSusan Kareを雇い入れた。Kareは、Appleのグラフィカルユーザインターフェースのオリジナルアイコンセットをデザインするかたわら、一連の可変幅のビットマップフォントを設計し、有名な都市の名前を付けた。

Kareのフォントには、基本的にその名の都市が持つ特徴が反映されている。Chicagoが大きく、ボールドで、GenevaはSwissのタイポグラフィに非常に近いのはそのためだ。

その後、Adobe社のより滑らかなベクター形式のデジタルフォントの登場によって、Kareの仕事は価値を失うことになる。”Chicago”、”Geneva”や”Los Angeles”の代わりに、オリジナルのPostScriptプログラムによるフォント、Courier、Helvetica、TimesとSymbolに親しむようになったのだ。

Myriad

myriadImages via
typedesignersatwork.tumblr.com, use-my-warez.net

Robert SlimachとCarol Twombly(上記写真左)が、Adobe Systems社のために”y”の独特な下部の形が特徴的なサンセリフ書体、Myriadをデザインしたのは1992年のことだ。それはが、デジタル環境での可読性に考慮した、Frutigerの伝統に連なるフォントであるのは一目瞭然だった。Frutiger自身はそれについて複雑な心境だったのは明らかで、「悪くはないが」、それは「少々やり過ぎだ」と語ったと言われている。

90年代、Myriadは目立たない変わり者のように扱われていた。しかし2002年にApple社がそれまでのApple Garamondに代わるコーポレートフォントに採用したため、現在では地球上で最も有名なフォントの1つとなっている。

Verdana

VerdanaImages via
thepugetnews.com, wikipedia.org

1985年以来、Microsoft社のヘッドデザイナーの1人であるVirginia Howlettもまた、Frutigerスタイルのフォントの必要性を認識しており、1996年、Matthew CarterにVerdanaのデザインを依頼した。その名は、”verdant(緑豊かな)”と、Howlettの娘の名である”Ana”の合成だ。

Verdanaの特徴は、高いxハイト(小文字の長さ)、広めの可変幅とルーズな文字間隔で、1996年に一般的だった比較的低解像度のモニタで読みやすくするために取り入れられた。


Retinaディスプレイの様な高精細ディスプレイが世界中で使われている今日、表示先の解像度にマッチさせるようなフォントデザインの価値には疑問が投げかけられている。当然、1950年代の写植機の導入で始まり、2000年代初期まで続いたデジタルフォントの実験の時代は終わったのだ、と結論づける人もいるだろう。今では、事実上、あらゆるフォントが”デジタルフォント”として使えるようになった。新たな実験の時代の始まりだ。