それでも有名デザイナーになりたいか?

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人は少なからず名声を求める。SNSをやっていれば「いいね!」が欲しいのは当然だろう。デザイナーとしても「いいね!」を追い求めるべきか?

あるデザイナーのこの言葉を聞いたことがあるだろうか。

有名なデザイナーであるということは、有名な歯科医であることのようなものだ。 — Noreen Morioka

業界のスターであっても、ひとたび外の世界へ出れば一般人だ。ということだが、この事は数年おきにデザインコミュニティでは話題になり、考えさせられる話題だ。ここ数年はデザイナーたちにとっては、良い仕事をする事よりも、Dribbbleでのいいね!を得ることに情熱を奪われていて、まさにこの事を指しているのかもしれない。

しかし私はこの言葉に懐疑的だ。引用はポイントをおさえてはいるが、これは「産湯と共に赤ん坊を流すようなもの」になり兼ねない。有名デザイナーであることが外の世界でそれほど知名度が無いのは事実だが、有名歯科医であることとは意味が違うのだ。

歯科医療とは本質的につかの間のものである。歯並びをどれだけ綺麗に整えても、その本人が亡くなってしまった途端に本来の機能を生かすことはできなくなる。デザインもしばしば一時的に消費される使い方もされるが、クリエイターよりも後世に残ることができる。パルテノン神殿を見れば、それを設計したイクティノスやカリクラテスが良い歯並びだったかどうかは別にして、私の言いたい事が分かってもらえると思う。(偉大なデザイナーだったがご存知なかったのでは無いだろうか)

歯科医療は既存のものを維持もしくは復活させる事に主眼を置くが、デザインは何かを創り出す、もしくは既存の能力を超えたものに改善することに主眼を置く。

デザイン業界に蔓延している「デザインは色んな面で重要だ!」という風潮を後押しするつもりは無い。デザインの重要性の過剰評価は正直不快だ。だが過小評価も危険なのだ。デザインは物理的にもデジタル的にも、我々の周辺環境を再設計するための鍵という事に変わりは無い。かつてメディアという物が我々の生活の一部となってきた様に、我々の仕事も徐々に重要度を増していく。

BUILDというデザインフェスティバルでのある話を紹介する。

日々の生活における便利なツールが物理的な物からデジタルなモノに変わって行くほど、デザイナーとしての機会と責任は大きくなっていく。我々は画面の向こう側を住処とし、その画面をどうして行くのが良いか決める内の1人だ。次世代のUIデザインや最新のテクノロジーなどよりも、我々は影響を与える立場として長く生きるユニークなポジションにいるのだ。 — Wilson Miner. When We Buildより

名声とは儚いもので、カンファレンスで登壇する様な有名デザイナーであっても、施術で有名な歯科医やDaft Punkがヘルメットを取った状態にすら匹敵しないだろう。我々自身の重要性については健全で正しい視点を持ち、仕事に対して自信を持ち、そこから生まれる謙虚さをもって作品に向き合うべきだ。

ところで著名なデザイナーはたくさんいる。インターフェイスデザイナーではないかもしれないが、外の世界でも知られている有名なグラフィックデザイナーとして(Saul Bass、Milton Glaser)や、有名建築家(Frank Lloyd Wright、Frank Gehry)や有名ファッションデザイナー(Giorgio Armani、Karl Lagerfeld)などがいる。デザインとはそのような終わりのない言葉なのだ。