完璧主義を捨て、失敗を愛するための7つのステップ

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Philips Design イノベーションデザイナー
Team Canvas」作者
IDEOHyperIsland在籍

失敗の恐怖と闘ってきた個人的なエピソードと、考え方や行動を変える上で役立った、失敗を愛するための7つのステップ。

失敗を避けてきた少年時代

私はロシアの小都市で育った。そこで私は普通の公立学校に通っていた。つまり、1年生の時はほとんどの授業でペンと紙を使っていた。文字、数字、言葉、計算、そして更に長い言葉や複雑な計算などをペンで書いていた。学校が終わると帰宅し、宿題でも同じようにペンと紙を使った。どんな時も間違いを犯したり、紙を汚したり、書き損じたりする失敗に気を付けなければならなかった。そして良い成績を修めるために、何が何でもそうした失敗を避けようとした。

8歳の頃には、失敗を避け、失敗を修正するあらゆる方法について達人の域に達していた。清書を重ねる。ノートの特定のページを破って新しいページに重ねる。修正液を使う。私の持っているどのペンにも合う色だ。とにかく何でもした。物事を一点のシミも無く、真っすぐにしておくように心掛けた。

失敗を避けることのデメリット

そのうちに、私は失敗を恐れ始めた。これはもっともなことだ。失敗すれば、人々をがっかりさせてしまう。社会に受け入れられなくなってしまう。否定的な評価を受けてしまう。自我が安全に守られなくなってしまう。

ある時点で、私はこの方法には欠陥があると気が付いた。失敗を避ける一番の方法は、失敗を引き起こす恐れのあることを何もしないことだ。つまり、新しいことを何もしないということだ。

大人として、この考え方が自分に与えていた影響に気付き、失敗に対する態度を見つけ出すには何年もかかった。つまり、失敗を受け入れて日々の生活の一部として望ましいものにする態度である。このような姿勢で失敗に臨むことによって、私は故郷の町、更にはロシアを離れ、4つの異なる国に住むことができた。多くの素晴らしい人々に出会って共に働き、有名な会社の様々な分野で仕事をし、何度も専門を変え、楽しく生きてこられた。もし私がずっと失敗を恐れていたら、いまだに、良い評価を得るために必要なことをしていただろう。

何年にも渡る(慎重な)挑戦と(楽しい)失敗を通して学んだのは、失敗を効果的に受け入れる方法だ。私はこの方法を構成する7つのステップを考えた。私の個人的な方針だが、共感してくれる人々にも役立つだろう。

失敗を愛するための7つのステップ

1. 失敗を受け入れてくれる人と付き合う

これはそれほど難しくはないが、非常に効果的だ。自分が完璧とは言えない場合に、人々がどう反応するのか気を付けよう。付き合うべき人の特徴を挙げる。

  • あなたを励ましの言葉で慰めようとするだけではなく、「よくやったね」と、より意図的な言葉をかける人。

  • 自分の反応に責任を持ち、あなたを責めない人。

  • 再挑戦するように、ただし別の方法で挑戦するように励ましてくれる人。

  • 何をするべきかを言うのではなく、他にどんな方法で挑戦できるかを質問することで、あなたが自ら学び、洞察を得られるように支援してくれる人。

  • 失敗から学び充実感を得ることは、成功を享受するよりも大切だと理解している人。(だから、あなたに時間と余裕を与えてくれる)

これは非常に重要な部分だ。一般的な社会のルールと同じくらい重要である。人は、自分が頻繁に付き合う5人の、平均の人物像と同じ程度になる傾向があると言われる。この仮説の背景にある科学的な根拠はよく分からないが、この法則が当てはまらなかったケースを思い出すことができない。

自分の考え方を変えるには、まずは付き合うべき人と付き合うことである。

2. 完璧を目指す前にまず終わらせる

完全主義者の世界では、仕事の最初の90%に90%の時間をかける。そして残りの9%に90%の時間をかける。更に残り0.9%にも90%の時間をかける。

この調子で永遠に続くわけだが、普通、完全主義者は早い段階であきらめてしまう。物事を不完全に進めることは非常に気まずいので、彼らの輝かしいアイデアは脇に放り出されてしまう。多くの壮大なプロジェクトは決して終わらない。しかしもっと重要なのは、完全主義者の世界には失敗の余地が無いということだ。失敗から学ぶことは何も無い。言い換えれば、修正が永遠に繰り返される世界だ。

こんな考え方からどうやって抜け出すことができるだろうか? 私の場合、なるほどと気が付く瞬間の後に解決策が得られた。

初めてiOSのアプリの仕事をしていた頃のことだ。絵に描いた動物のアルファベットの小さなゲームアプリだったが、外部的な事情のため、自分に対して厳しい時間制限を課していた。あまりに厳しい制限だったので、いつも、イラストレーションを描き上げてコーディングを完成させるのがやっとだった。500円でボイスオーバーを外注し、短期講習を受け、イラストレーションを勉強した。英語のアルファベットが長すぎると文句はあったものの、毎晩仕事の後にそれぞれの動物を描き、トレースし、シンプルなベクター画像の制作を続けていた。

結果は、あらゆる意味において完全とは言えないものだった。見れば分かると思うが、イラストレーションは未完成で、ベジェ曲線も素人のようなものだった。しかし、数カ月後にApp Storeで販売されると、何千人という親たちがアプリをダウンロードして子どもと一緒に使ったのだ。

このアプリの公開後、フィードバックを受け取るようになり始めた。適切に動かない機能があり、エラーもいくつか報告された。アプリがより良いものになるような素晴らしいアドバイスもあった。しかし、イラストレーションに対する苦情をどれくらい受け取ったか分かるだろうか? 1つも無かったのだ。というのも、そんなことを気にする人は誰もいなかったからだ。私だけが気にしていたのだ。ユーザーが気にするのは、アプリによって得られる体験であり、自分の子どもがゲームで楽しく文字を学べることであり、親たち自身が楽しめることだ。

このようにして私は、一般の人々は文字のカーニングなど気にしないということを学んだ。

これが、私がなるほどと気付いた瞬間だった。このプロジェクトの前は、重要性が低い事項の修正に大きな労力をかけていた。完全主義でいると、想像の木々の背後にある現実の森を見ることができないと分かった。

何も、いい加減な仕事で構わない、それで良いと言っているのではない。しかし、実際に発売して改善していく方がもっと重要だ。そして完全主義者の考え方から完璧を目指す前にまず終わらせるという考え方に移行することが重要だ。

完全であろうと思っている、その対象である自分や人々にとって、何が本当に重要なのかを再考すべきである。

3. 常に細かく改善する

第二次世界大戦以降、アメリカは崩壊した日本経済を立て直す方法を模索していた。日本産業を復興させるためにアメリカが実施した施策の1つは、自国から専門家を派遣することだった。聡明で、優秀な統計学者William Edwards Deming氏も当時日本に渡った1人だ。彼の活動がきっかけとなり、継続的に改善する精神が日本に浸透した。その結果、50年代から60年代にかけて、日本は世界第2位の経済大国に成長したのだ。

この改善の精神をトヨタ社が採用し、生産サイクルと品質基準を劇的に改善させたのは有名な話である。目覚ましい改善により、一時期アメリカでは国産車よりもトヨタ車の方がよく売れていたほどだ。

改善の精神を、あなたも取り入れることができるだろうか? きっと可能だろう。以下に改善の3大原則について説明する。

  • 劇的な改善ではなく、小さな改善の余地を常に探す。
    そうすることで失敗への恐怖感が薄れる。さらに長期的に見れば、改善に向けた取り組みが楽しい日課へと変わるのである。時折大きな変更をするよりも、小さな改善を積み重ねる方が効果的なのだ。

  • プロセスを見直す。
    改善の精神の根底にあるのが、プロセスの内省だ。この原則を個人レベルで実施するには、自らの功績ではなくプロセスについて頻繁に振り返る習慣をつけるとよい。そうすると自分の中の8:2の法則(行っていることの2割が、成果の8割を決めるという法則)に気付くだろう。その法則に基づいて行動すれば、失敗への恐怖感はずっと薄れるはずだ。

  • 不要なプロセスを軽減、除外する。
    当たり前だと思うかもしれない。だが一般的に人というのは、本来は必要のないものまでたくさん抱え込んでいるものだ。自信や利益につながりもしない考えを抱き、役に立たないどころか逆効果で悪影響を及ぼすことを日々たくさん繰り返している。それが人間なのだ。だが、ありがたいことに、そんな重荷を背負う必要はない。自身のプロセスをじっくりと見直し、全く役に立たないことは省いてしまえばよい。そうすればすぐに、道を誤り、失敗を恐れる事態につながるような行動をとることが減ったと自覚できるはずだ。

継続的改善の精神は、経済や医療、政治、ライフ・コーチング、心理療法に至る幅広い分野に応用されている。継続的改善の概念を個人レベルで取り入れ、日々の日課にするための画期的な方法を知りたい方は、Jeff Olson著の『The Slight Edge』をぜひ読んでほしい。

4. プロトタイプからとにかく始める

これは私がIDEOで働いていた時に体得したことだ。

デザイナーが失敗への恐怖心に打ち勝つには、未完成のものを世に出して、反応を見るという方法がお勧めだ。ここで言う未完成とは、粗削りという意味だ。粗削りなので、ごく短時間で作った紙ベースのプロトタイプや、短いコメントの入った付箋の束であってもいい。

以下に、その効果を2つ挙げよう。

まずは、自尊心を保ったまま多くの意見を聞けるという点だ。あなたが提示したものは荒削りで、まだ機能しないプロトタイプであると人々に認識されるため、期待値や基準が下がる。その結果、完成品を作ろうと意気込んだり、人々に受け入れられるかどうか気にしたりせずに、早い段階で有意義な意見交換ができるのだ。

もう1つはスタートを切るという点だ。これは実に重要なことである。何をするにしても、初めて物を販売したり、デザインを形にしたり、本を出版したりする段階に到達するまでは、まだ幻想の域を脱していない。幻想が現実という壁にぶつかり打ち砕かれた時に、失敗は起きるのだ。だから未完成で、ほとんど機能しない状態から始めるのがベストなのである。

5.短いフィードバックループと継続的な繰り返し

アジャイル開発の概念、デザイン思考、効率的なスタートアップ企業、これらの共通点は何だろうか? 答えはどれも短いフィードバックループと継続的な繰り返しという概念に基づいているという点だ。

この基本原理の取り入れ方はさまざまだが、やっていることは同じだ。作業単位を細かく設定し、1つのものをベースにして次のものを作るのだ。

では反復的に作業を行うにはどうしたらよいだろうか。

この疑問に対する最高のアドバイスを得たのは、私がQuora社の仕事に応募した時のことだ。私は半日ほどQuora社のオフィスで自分の業績や製品に対する提案事項を述べ、技術者たちと非常に簡単な問題を解き、デザイナーと話をして過ごした。結局、採用には至らなかったが、それで構わなかった。

ただフィードバックは欲しかったので何度か連絡を取ると、採用プロセスにおいて決定権を持つ人物から短いメールが来た。そこに書かれていたのは、開発の初期段階から最終段階まで自分で何か作り上げてみてはどうか、という提案だった。

それから半年のうちに、私はあるアプリ開発で上述の内容を実現した。その過程で学ぶことは非常に多く、中でも反復型アプローチを体感できたことは大きかった。

それまで自分は、常に反復的に作業をしていると思い込んでいた。アジャイル開発のチームに属し、毎月新機能を手掛けてはリリースし、デザイン思考も取り入れていた。もちろん、どれも反復的なことだ。だが自分で1から製品を作り上げるとなると、全く新しいレベルでこうした取り組みをしなければならない。

私は失敗に対する意識を改善する上でも、1から何かを作れというアドバイスをしたい。漠然とした作り方しか浮かんでいないものを作るのだ。それを成し遂げた時に、本当の意味で物事を反復的に行うために必要なことが見えてくるだろう。そこで得た教訓は、人生における間違いへの恐怖心を大いに和らげてくれるはずだ。

6.目標を正しく設定する

これはEdmond Lau氏のブログから学んだことだ。2009年にHeidi Grant Halvorson博士は、人々を2つのグループに分けて、同じ課題に取り組ませるという一連の実験を行った。片方のグループには、これから取り組む課題は被験者の考え方や分析力を問うものであると伝え、もう一方のグループにはすべての課題を訓練や学びの機会だと捉えるように伝えた。

すると課題の難易度が上がるにつれて、2つのグループの結果に差が出始めた。パフォーマンス重視のグループは、難問で苦戦するとモチベーションが下がった。一方、難問を成長の機会と捉えるよう言われた熟達度重視のグループは、モチベーションを保ったまま、より多くの課題をこなしたのだ。

Halvorson博士の実験は、すでに人々が知っているであろう事実を科学的に裏付けた。それは、難しく感じる課題であっても、捉え方ひとつでモチベーションや成功率は劇的に向上するということだ。見方を変えれば、失敗をして困難な状況にあったとしても、成功をつかむことは可能なのである。必要なのは、自分が今取り組んでいることの目的を正しく定めることだけだ。

このからくりに気づいた時、私は過去数年間で苦労した作業やプロジェクトについて、ざっと思い返してみた。驚くことに問題の大半は、特定のプロジェクトによって自分の技量や知識、プロ意識などが試されていると感じた時に発生していた。逆に自分の流れをつかみ、常に好奇心を持ち続け、新たな発見に満ちていたプロジェクトは、たとえ困難なことがあってもスムーズに進んでいたのだ。

重要なプロジェクトに取り掛かる際に、その目的を明確にしておくだけで(技能を習得し、問題をベンチマークではなく学びの機会として捉えるなど)、失敗に対する恐怖心や不安感はかなり軽減されるだろう。

7.失敗で遊ぶ

過去の失敗から学ぶには、前のステップについて振り返る必要がある。

ここで乳歯について考えてみよう。

人間は成長すると、まず乳歯が生える。そしてある段階で(たいていは子どもの時期に)乳歯が抜け、永久歯に生え変わる。

乳歯が抜けた時のことは、あまり良い思い出としては残っていないだろう。結局のところ体の一部が取れたわけだし、大抵は血が出て、口の中の感覚がおかしくなる。どう考えても乳歯は好ましいものではない。それに、ひとたび抜ければもう役には立たない。

しかし多様な文化を持つ人類は、乳歯が抜けるという出来事すら楽しんでいる。たとえば、夜にトゥースフェアリーという妖精が子ども部屋に現れ、枕の下に入れた乳歯を持っていき、願い事をかなえてくれるという言い伝えがある。オーストラリアやスウェーデン、スカンディナビアでは、子どもたちが寝る前にグラスの中に水と乳歯を入れておくと、トゥースフェアリーが乳歯を持っていくと言われている。スペイン、イタリア、ベルギーの場合、トゥースフェアリーの代わりに小さなネズミが登場する。トルコ、キプロス、メキシコ、ギリシャ、中国では、抜けた乳歯を子どもが屋根の上へと投げる。インド、韓国、ネパール、ベトナム、フィリピンでは乳歯を床下に投げ、日本では空へと投げる。スリランカではリスが拾えるように、木のてっぺんに向かって投げる。パキスタンでは新たな兄弟が生まれるよう願い、庭に埋めるそうだ。

昔から失敗を糧にするという話はあるが、実際のところ失敗は格別役に立つものではないだろう。ならば、失敗を乳歯だと捉えてみたらどうだろうか。不快で魅力のないものかもしれないが、とても面白いものにもなり得る。失敗をたたえ、堪能し、自分の強みに変えてしまうのだ。自分が最高とは言えないと悟った時、どんなやり方を採用するかは自分で決められるのだ。それはきっとワクワクするような経験になるだろう。


大事なのは自分の意識を変えることだ。

私の場合、自分の失敗を愛せるようになるまで、かなりの時間がかかった。でも今では、失敗は非常に有益で味わい深いものだと思っている。時には失敗が原因で、想定とは違う方向に進むこともある。例えるなら冷たい風に当たった時に体を動かすと、血行が良くなって体が温まるようなものだ。この一連の動きによって、私はある変わったダンスを思い出すことがある。そのダンスこそ、私が最も楽しいと感じるものなのだ。

皆さんにも共感してもらえたらうれしい。