手段を切り離したら楽になったデザイナーの仕事のお話

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どのような環境にいても、与えられた仕事の領域から少し抜け出して対話を始めることが必要とされています。作業の範囲を広げるために勉強するのではなく、誰かと話ができるようになるために覚えるものを選ぶことで、本来あるべきデザイナーの姿に少し近づくと思います。

元々デザインの仕事は広範囲だった

ここ数年でようやく Web・アプリの世界で「デザイナーは広範囲でいろいろ知っておかなければならない」という声が高まりましたが、元々デザイナーの仕事は範囲が広いものでした。例えばファッションデザイナーはデザイン力はもちろん、技術に基づいた設計、製造工場との交渉、流行や市場の動向の理解などが必要とされています。インダストリアルデザイナーや建築家も同じです。ただデザインができるというだけでは一人前として見なされない仕事がすぐそこにのあるにも関わらず、なぜ Web・アプリでは目新しく見えてしまうのでしょうか。

ひとつの仮説として考えられるのが、DTP デザインなどに見られるデザインの分業化・効率化です。1984 年に登場した Apple Machintosh には Adobe の PostScript が実装されました。翌年に発売された PageMaker によって、高機能かつ WYSWYG 感覚でのデザインと印刷が可能になり、DTP が一気に広がりました。

企画、設計、編集、活字組み、印刷など、工程のなかにある様々なことへの知識と介入が必要とされていたデザインも、DTP によって簡略化されました。それはデザインに革命を起こしたと同時に、作るだけでも良いという環境を生み出したと思います。DTP によって作る(デザインする)工程を切り離して作業ができることになったことで、全体工程に介入する必要がなくなり、自分の持ち場のことだけ考えれば良いという状況になりました。

DTP が広まってきた辺りから、全体工程を知らなくても自分の持ち場で課せられた作業をすることがデザイナーの仕事になってきたように見えます。もちろん、DTP デザイナーがそういう仕事をしている人ばかりではありませんが、デジタル化による過度な作業分担が、「自分の持ち場のことだけすれば良い」という考えに陥りやすくなると思います。それは DTP だけでなく Web デザインにも同様の傾向がありますし、アプリデザインにも多少見られます。

今必要とされているデザイナー、これからも必要とされているデザイナーの姿とは、いつの間にか作業するだけという領域に閉じ込められたデザインの仕事を、自分の仕事環境で少しでも切り開こうとする人だと思います。

作業する道具がアイデンティティになっていないか

私が尊敬するデザイナーやプログラマーで共通しているのは、特定の道具(もしくは言語)に固辞していないところです。自分の仕事環境で最も効果を出す手法を模索・実践しているだけで、他の方法はダメというわけではない印象を受けます。必要であれば乗り換えも構わないと言いますし、「道具はどうでも良い」と口にする人もいます。自分の仕事の範囲に明確な線を引いていないからこそ、言える言葉だと思います。

Web サイトをデザインする人、アプリをデザインする人、サービスをデザインする人であってほしいですが、場合によって Photoshop を使う人、Illustrator を使う人と見られてしまうことがあります。デザイナーの存在を道具と結びつけられるひとつの要因として、何かを作るという作業をすることがデザインの仕事と思われているからかもしれません。道具は私たちの仕事に欠かせない存在ですが、道具への深い依存が作るだけが仕事というイメージを色濃くしてしまうことがあります。

道具はソフトウェアだけのことではありません。例えば、デザイナーがコードを学習したとしても、作る手段を増やしているだけであれば、便利な作業員になるだけです。コードの書き方を習得しなくても、せめてコード脳を養うべきなのは、プログラミングができるようになるためというより、他の人とコミュニケーションをとるときの武器になるからです。

自分に課せられた仕事をこなすという狭い範囲のデザインから抜け出すために誰でもできることは、従来自分の領域ではないと思っていたところに向けて対話を始めることです。

ひとりでは作れないからこそ

先述したファッションデザイナー、インダストリアルデザイナー、建築家で共通しているのは、ひとりでは形にできないことを理解した上で、実現のために様々な領域に足を踏み入れている点です。スケッチしているだけでは服は完成しませんし、スケッチしているだけではファッションデザイナーと呼ばれません。だからといって、万能になれませんし、なれたとしても物理的にひとりですべてするのは不可能です。

自分ですべて『作業』することはありません。その分野の専門家がしたほうが圧倒的に早く高品質なものが生まれます。けど、その専門家たちに丸投げして任せて作業させるだけだと、お互いの長所を活かすことができません。だからこそ、デザイナーは他の領域に少し足を踏み入れて対話をするわけです。

Sketch でデザインをしていても、まったく同じ見た目が実機で再現されることはありません。Sketch のアートボードと、実機での環境の違いは何か?どのように描画されているのか? 何によって見た目が決まるのか?実現することで、どのような負債が発生するのか?そもそも何が必要なのか? こうした疑問をデザイナー自ら投げかけることで、他分野の専門家との対話が始まります。それが自分ひとりでは思いつかなかった最適案に繋がるという、ひとりで作業しているときにはない『魔法』が生まれます。

自分でコードが書ければ、そうした疑問を専門家に投げかける必要がなくなるのかもしれません。しかし、それはひとりだけでは形にできないからこそある、互いの強みを活かした相乗効果を体験する機会を失う可能性があります。作業範囲を広げるためだけにコードを学ぶのでは、自分の作業領域を超えたコミュニケーションを始めることは難しいでしょう。

たとえ他の領域の勉強を怠ったとしても、デザイナーであれば デザインが分からない人とデザインの話ができるようにしておく必要があります。デザインの意図を言語化できなければ、外から見えるのは道具を使っている姿だけになります。

まとめ

Web やアプリから始めたデザイナーからすると、工程のある特定の部分で携わるのがデザインの仕事と考えがちです。素敵な見た目を道具をつかってデザインすることは、デザイナーが本来しなければならない仕事のほんの一部でしかありません。作るだけが仕事ではないのは、他分野のデザイナーの仕事を見ても分かります。

Web デザイナー、アプリデザイナーの仕事について書いたものの、仕事環境は様々です。現場それぞれで求められているデザイナーの姿が異なるので、こうあるべきとは言い切れません。しかしどのような環境にいても、与えられた仕事の領域から少し抜け出して対話を始めることが必要とされています。対話の手段としてコードを覚えることが有効なことがありますし、時にはカスタマージャーニーマップをはじめとした UX デザインの手法を用いることかもしれません。

情報過多で何を知るべきなのかを知ることすら難しい日々。作業の範囲を広げるために勉強するのではなく、誰かと話ができるようになるために覚えるものを選ぶことで、本来あるべきデザイナーの姿に少し近づくと思います。