話せるというソフトスキルについて情報発信している理由

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作ることより話せるほうが重要であるという意味ではありません。デザイナーの仕事として本来同等であるべきところが、いつの間にかバランスを失っていると感じています。

積み上げられた結果だけを見ているという事実

デザイナーは漠然としたアイデアから、見たり触ることができるモノが作れる人たちです。デザイナーだけではありませんが、作る仕事をしている人は、その作るためのスキルを磨くことが最も重要だと考えると思います。しかし、あまりに重要視することでデザイナーが本来しなければならない、もうひとつの仕事を怠ってしまうことがあります。

デザイナーの仕事は「作れる」だけでなく「話せる」ことも含まれています。しかし、デザイナーが自分のデザインを言語化できない人があまりにも多いと思います。デザイン批評について書き始めたのは 5 年前に遡りますが、当時の日本のデザイン関連の話題で足りていない部分と思ったのがキッカケです。また、「UX だ!」と高らかに宣言したところで、話すことができなれば何も前進しないと考えたからです。

UX デザインプロセスには、ペルソナカスタマージャーニーマッププロトタイプなど、便利な視覚化ツールがあります。しかし、所詮ツールであるわけですから、それらを作れば物事が上手くというものではありません。なぜ、こうした視覚化になったのか、これから何が導かれるのかという説明が必要になるでしょうし、何度も振り返りの会話も必要になるでしょう。ツールが代わりに語ってくれるわけでもないのに放置していては状況が変わらないのは当然です。

時々、欧米と日本のデザインの捉え方の違いに嘆く声を耳にすることがあります。「デザインが重要視されない」という声に対して、私は「そりゃそうだろう」と思うわけです。デザイナー同士で分かり合える言葉ではなく、デザインの意図が分かる言語化ができなければ、伝わらないのは当然です。相手は超能力者ではないわけですから、「見れば分かる」では通用しないわけです。

デザイナーは「作る」という行為を理想化して感傷的になることがあります。それが「職人」という言葉を「黙ってただ作り続ける人」という意味で捉えたり、良いものを作り続けさえすれば周りに認めてもらえると信じてしまうことになります。こうした理想が、「話す」という行為を怠り、「作る」ほうへ偏ってしまう要因のひとつだと考えています。デザインにも営業が必要なわけです。

欧米でデザインがお金も含めて高い地位にあるのが、その「話す」という行為を続けている点です。50年前にデザインマニフェストを公開し、デザインの影響と責任について社会に訴えかけています。有名だろうが新人だろうが関係なく、広く情報発信をする、言語化するということを続けているのが欧米のデザイン界隈。欧米で UX デザインプロセスが実践しやすい理由のひとつとして、何世代も通して言語化を積み上げてきた結果だと考えています。言語化を止めていないからこそ、デザイナーが発言権(決定権)を得ているわけです。「アメリカとの差。日本のアニメ制作現場で圧倒的に欠けているもの」という記事でも、日米の差は言語化できることと指摘していますが、これはアニメ制作だけでなくデザインにも言えるところです。

UX デザインという『結果』だけ見ても、それがなぜ必然的に実践されているのかという背景を見ると、何をすべきかという課題が見えてきます。もちろん、テクノロジーがオフライン、オンラインで多大な影響を及ぼすようになり、生活に密着したデザインが必要とされているという背景もあります。ただ、そこにデザイナーが全体の世界観も含めて関与するべき存在であると認知されているのは、長年(そして今でも)デザインの言語化を続けているからだと思います。たまたま同じように「デザイナー」と名乗っている私たちですが、「作れる」だけと、「作れて話せる」とでは大きな違いです。

不健康な状態を少しでも変えたい

デザイナーも情報発信すべきですが、そもそも会話の土壌がないに等しいのも悩ましいところです。Web 上で広く情報発信をしている人がいる一方、ソーシャルメディアの片隅で独り言のようなツッコミだけ書く人がいるのが現状です。正しい、間違っているという物差しだけで判断することが多く、「こういう視点も考えられる」という可能性について発信できないのは不健康です。「書くのが怖い」という声を耳にしたことがありますが、いつどこで間違っていると言われるか分からないところで書こうと思う人は少ないでしょう。

ネガティブなコメントがなくなることはないですし、それを多少受け入れて情報発信を続けなければならないのが Web の世界です。ただ、デザインという小さな世界だけでも、少しばかり情報発信しやすい場にすることはできると思います。ここ 1, 2 年 ポッドキャストを楽しくやれている理由は、正しい間違い関係なく可能性についてゲストと一緒に話すことができるところです。ブログを書いていない人でも、会話を通して考えていることを知ることができるのが何より刺激になります。ブログという場は適していないのであれば、ポッドキャストという別の場がありますし、他でも良いわけです。

作ることより話せるほうが重要であるという意味ではありません。デザイナーの仕事として本来同等であるべきところが、いつの間にかバランスを失っていると感じています。言語化が足りていない日本では、今は『話し過ぎている』くらいでも良いと思います。