デザインは感性ではなく「理論」である

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経営アドバイザー、TEDスピーカー、作家。

デザインはデザイナー個人の才能やひらめきによってのみ作られるのではなく、理論を確立する科学とも言える。そして、ユーザーに届けるために多面性が求められる奥深い分野なのだ。TEDスピーカーのDon Norman氏が書籍『The Psychology of Design: Creating Consumer Appeal』に寄せた文章。

デザイナーは実用的な物やサービスを創り出す。そのため、デザインは特別とされ、興味深い課題を徹底的に研究する他の学問分野とは異質とされている。デザインは、人の生活に変化をもたらす物を創造する素晴らしい分野である。デザインがすごいのはいいとして、問題はそこに科学は存在するのか、それとも、才能あるデザイナーの気まぐれやひらめき、創造力次第なのかである。

今日、デザインのほとんどは、デザイナーの洞察力や直感力、本能の賜物である。そして、これらデザイナーの持つ能力は、慣習や鍛練、育成によって長年磨かれたものなのである。デザインの中でもインタラクションや外観に関する部分は、認知科学の中の相互作用と知覚が土台になっていることは明確である。それ以外の部分には確固たる土台がない。デザインは科学なのだろうか。デザインコミュニティの多数は科学ではないと考えている。しかし、これは見当違いだと思う。

このような問題を議論するメールリスト宛に最近投稿したとき、デザインのような分野において可能な厳密さの種類を分類した。内容は次のとおりだ(一部編集している)。


デザインは理論によって動かされる科学なのだろうか?あるいは、慣習が研究評価され、手法の有効性や妥当性が成文化された証拠に基づいたデザインを通して手法を改善することが少なからずできるのではないだろうか?それとも、今日のように、デザインはデザイナーの能力や才能に委ねておけばいいものなのだろうか?答えは全て当てはまると言える。

  1. 証拠に基づいた理論、つまり、デザイン理論を用いて進めることが断然望ましいと考える。

  2. 今日のデザインの分野のほとんどにおいて適切な理論が存在していない。もちろん適切な理論を発展させることは不可能なのかもしれない。このように適切な理論が存在しない状況においては、証拠に基づいたデザインで進めるべきだと考える。

  3. 今日のデザインの分野のほとんどにおいて証拠に基づいた理論が存在していない。もちろん証拠に基づいた理論を発展させることは不可能かもしれない。このように適切な理論が存在しない状況においては、有能なデザイナーの才能やひらめきなどに頼って進めるべきだと考える。


科学史においてまず、大まかな考えが観察され分類される。そして、構成部分が簡単に測定される。時間の経過と共に理論としての基本的概念が形成されることになる。これが、理論確立までの道である。科学的手法は、調査、試験、論争を終えてから便利な立証済みの理論としてまとめられるための手順なのだ。全ての科学やエンジニアリングで用いる慣習が理論に基づいているわけではない。いまだに証拠に基づいた慣習が存在する。薬学がいい例である。薬学には奥の深い理論に基づく部分や理論ではなく証拠に基づいている部分、そして、証拠にも理論にも基づかない部分が混在している。

デザインもこの道をたどっているが、目的や手法、技術が異なるため、独特の方法でたどっている。多くの専門分野では、取り組むべき問題は明確である。デザインにおいては、行動範囲や取り組むべき問題が広範囲であるため、多くの場合、前述した分類の2と3に当てはまる。適切な理論が存在していないが、証拠に基づいた良い慣習と、デザイナーの才能やひらめきがある。

デザインは問題を定義する

デザインは実に複雑な分野である。デザインを構成する部分の中には、大抵行動科学や認知科学に基づいているものがすでにある。中には、科学的理解におよんでいないものもある。しかし、これらも正しく証拠に基づいた研究さえすれば、科学的に説明できるようになるか、正しい理解で使用されれば、少なくとも効果的であると確実に証明できるのである。見方によっては、デザインを主に人間の創造力やセンス、その他の社会的影響に基づくものとして捉えることができる。これらのことは永久に科学的には説明できないかもしれないが、デザインの品質や支持を大きく左右するものなのだ。

そこで、デザインは科学なのだろうか?時と場合によっては科学であり科学ではない。では、デザインは経験に基づき、証拠に突き動かされるものなのだろうか?そうとも言える。もしくは、デザインはデザイナー個人のひらめきや創造力に頼るしかないのだろうか?これも、時にはそうとも言える。

デザインの効力はその手法にあるのだ。現代のデザインにおいては、対象とする人々の観察から始まり、時間をかけて観察と研究を重ね、根底に存在する問題の理解を深める。コンサルタントとしての仕事を引き受ける時に、1つだけ条件を出している。それは、「私に解決を依頼した問題を自ら解決しない」ということである。変な条件だが、このような条件を出している理由は、解決を頼まれた問題が根本的なものではないことが多いからだ。問題は大抵表面的なものか単なる症状にすぎないのだ。デザインが非常に効果的なのは、問題を解決するだけでなく、問題を定義するからだ。取り組むべき根本的問題を理解するためには時間を費やすが、簡単に目につく表面的な問題には全く時間を割かない。

世界に存在する重要な問題の多くが解決に至らない理由は、情報が不十分あるいは根本的に解決不可能のどちらかになる。それは、関係要因が多すぎたり、対立する制約が多すぎたり、根本的に相反する問題が多すぎたりするからだ。経済学者やデザイナーによってこのような問題を「厄介な」ものとしている。厄介な問題なのだ。デザインは他の専門分野とは異なり、真実を求めていない。デザインは、「満足するほど良い」や、単に「以前より良い」を求めているのである。Herbert Simon氏の言葉を借りると、満足感が得られればいいのである。デザインは、価値を作り上げ、何らかの効果をもたらす必要がある。ちょっとした変化を与えるのではなく、絶大な効果を与え、著しい影響を及ぼす必要がある。デザインは実用的な成果を挙げる、そして成果物を常に研究し、改良、改善する分野なのだ。多少ではなく、多大な効果を与えることを目的としている。人々の生活に統計的な変化をもたらすのではなく、著しい変化をもたらす必要がある。

デザインは応用芸術である

デザイナーは、描画や作成をしながら考えをまとめていく。言葉や数式で考えるのではなく、絵を描いたり、スケッチしたり、構築しながら思考を巡らせる。絵を描いたり、スケッチしたりすることは、物事をあらゆる角度から見るには有効的である。空間的や時間的に物事を捉えることができる。

デザインはある意味、応用芸術である。人は機能的なものを欲しがるが、同時に魅力的で気持ちを高揚させてくれるものを好む。見栄えが良かったり、使い勝手が良かったりしなければならないのだ。これは芸術の域で、何がどうなると人は魅了され、良いと感じるのかは解明されていない。デザインする過程において、大部分が未だに科学ではなく、芸術なのである。

例を挙げてみよう。今日のスマートフォンやOSでは、スクリーンを触れてリストをスクロールしている時にスクリーンやトラックパッドから指を外しても、しばらくスクロールは続き、ゆっくりと止まる。これは、バーチャルな「弾み」であり、「粘性摩擦」のため、指が離れてもしばらくはスクロールが続くのである。リストの最後に行き着くとどうなるのだろうか。バウンドする。このバウンドする仕組みはどういうものなのか。人を楽しい気持ちにする以外に意味はない。素晴らしいデザイナーはこのような機能を製品に入れ、ユーザを楽しい気持ちにしてくれるのだ。

このように気持ちを高揚させてくれる機能を追加することの科学とは何なのだろうか。分からない。永遠に解明されることもないかもしれない。芸術的で楽しさを与えてくれるといった感情を刺激する要素は素晴らしいデザインに取って重要な側面であるのにも関わらず、これら仕組みを説明する理論はない。

まとめ

ここで書いたのは従来のデザイン領域である。この本(『The Psychology of Design: Creating Consumer Appeal』)では、人々の好みの根拠や実態、視覚的感触的なものの重要性、色の与える影響や決断に価格がどう影響するのかなどを「消費者心理」という視点から説明している。これらは、従来の製品デザイナーが抱える問題に共通するところがあるが、デザインの初期段階において念頭に置いておくべき根本的問題なのだ。

デザインは多面的で複雑な仕事である。何を作成し、誰を対象とし、どの素材を使い、そしてどのような技術を適用するのかなどを決める必要がある。さらに、購入する時に何が考慮されるのか、使う時に何が想定されるのかなども理解する必要がある。デザインには、活動や分野の研究、鍛練など、幅広い範囲が含まれる。この奥深さと豊かさがデザインを素晴らしく興味深い分野にしているのだ。





Norman, D. (2015).
The “science” in the science of design.
In R. Batra, C. M. Seifert, & D. Brei (Eds.), 『『The Psychology of Design: Creating Consumer Appeal』』.
New York: Routledge.